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どうぞ、ご一読下さい。
■先週は皆様、本当にお疲れ様でした。
ドル円、ユーロ円等のクロス円相場は「歴史的な大相場」となりました。
ドル円相場は、一時ドル安値90.87円と、79.75円という円の史上最高値を付けた1995年以来、実に13年振りの水準にまで下げました。
また、価格水準では、1995円以来ですが、相場の急落度合いからすると、史上最大とも言える1998年10月以来の動きとなりました。
それを示す証拠として、通貨オプション市場のボラティリティの上昇があります。
1か月物が一時過去最高の45%にまで達したということですから、まさに歴史的に見ても異常な状況だったことが窺われます。
円高に備えようとする向きが、必死で円コールオプション(円を買う権利)を買いまくったということでしょう。
そう言えば、1998年10月は、私が経験した中で最も激しい円急騰を演じた時期でした。
1998年8月11日にドル高値147.64円を付けたドル円相場が、10月8日にドル安値111.45円まで下げたのですから、ドル暴落以外の何物でもありませんでした。
実に、2か月弱の内に36円ものドル安円高となったのです。
特に、10月6日の高値134.23円から10月8日の安値111.45円まで、僅か3日で22円以上も円高に振れたのですから、まさに常識ではあり得ない相場でした。
しかしながら、今回、まるでその時を思い出させるような異常な光景が繰り広げられたわけです。
■特に今回のケースは米ドルが対欧州通貨やオセアニア通貨に対して上昇する中で、円が対全通貨で急上昇するという、円独歩高となりました。
その為、残念ながら、外貨買い円売りを常態としていた多くの個人投資家が大きな痛手を被る結果となったのです。
世界的レベルで「円キャリートレード」が進んでいたわけですが、そのグローバルなポジション調整が一気に進む格好となったのです。
「円キャリートレード」と言えば、この最近も大々的に報道された、国家破綻の危機に晒されているアイスランドにおける一般国民の円建て住宅ローンでの実情は、同じ「先進国」の状況とは信じ難いものでしょう。
すなわち、自国通貨アイスランド通貨クローナの金利が高いということ、そして、遥かかなたの国、日本の通貨円の金利が低いと言うだけの理由で、円建ての住宅ローンを借り入れた多数の人々が、最近大変な苦境に喘いでいることです。
経済危機の影響もあってアイスランドクローナが大暴落したことに加え、円が急騰したことから、円建ての利払いがこの半年ほどで2倍に膨れ上がったのです。多くの国民が一世一代の堪らない状況に追い込まれているわけです。
つい最近までトリプルAという、ソブリン格付けにて日本よりも上位に位置していた国が、現在は瀕死の状態にあることは、まさに歴史的にみて異常な光景とも言えましょう。
それにしても、金利差に目が眩んだと同時に、「為替リスク」を甘く見過ぎていた結果とは言え、あまりにも悲惨な事態に目を覆うばかりです。
■ところで、外国為替の変動リスクというものがこれほどにまで認識されることは、1998円の外為法改正、そして、本格的に外貨証拠金取引に個人投資家が参入した2000年以降、初めてであると思います。
ユーロ円相場こそ、金曜日の安値113.79円と言う水準は2002年以来ですが、ポンド円相場に至っては、1995年以来の大暴落となりました。
そして、何と、豪ドル円相場は、史上最安値となったのです。
私の限りある手持ちのチャートをみても、豪ドル円は1983年には220円に位置していました。
そして、ポンド円相場に至っては、1980年当時、何と572円近辺に位置していたのです。
ちなみに、カナダ円相場は、1971年当時、356円に位置していました。
1971年と言えば、あのニクソンショックがあった時期ですが、ドル円相場も確かに変動相場制に移行する直前ですから、357円近辺にて推移していました。
元々、2国間のインフレ率からすると、日本円がドル、豪ドル、ポンド、カナダ等々の通貨に対して今まで弱すぎたと言えるのです。
そのマクロ面の調整がここにきて一気に噴き出した格好とも言えましょう。
そもそも、歴史的にみて金利の高い通貨は強い通貨であるよりも弱い通貨であることが「普通」「常識」でした。
ファンダメンタルズ的に弱い通貨であるからこそ、金利を強くして支えるわけです。
私も1984年にマーケットの世界に入った当初、先輩ディーラーから、高い金利の代表であるポンドなどは売る通貨と教えられたものです。
もっとも、私は、相場の「適正水準」をマクロ経済から語るつもりは毛頭ありません。
かねてから、「ファンダメンタルズ」による相場分析を行っても、はっきり申し上げて、実際のトレードには役立たないと思っているからです。
ただ、相場の全体観、歴史的な位置づけを見るのは、決して無駄なことではないと思います。
■ところで、金融リスクの大きな要素に、「信用リスク」と並んで「市場リスク」があります。
この「市場リスク」の大きな要素は「金利リスク」と「為替リスク」です。
尚、「市場リスク」には他に「株式リスク」と「コモディティリスク」があります。
そして、この「為替リスク」がどういうわけか、一般の個人投資家の中では軽視される傾向がありました。
それは、2000年以降、国内にて外貨証拠金ビジネスが広まっていく中で、マーケットの動きが、概ね、「外貨高円安トレンド」にあったからです。
そのため、金利差を狙うということが第一義の目的とされ、為替変動リスク(この場合は、円高リスク)が軽視される傾向が蔓延したのだと考えられます。
■確かに、トレンドを察知して、そのトレンドに乗っているからこそ、金利差を享受出来るのだという認識の下で、外貨買い円売りのポジションをキャリーしているのなら良かったのですが、実際のところ、大半のケースはそうではなかったと思えるのです。
私は、常日頃から、「トレンドに乗ること」「トレンドのない相場は出来るだけ休むこと」を標ぼうしていますが、2000年以降の相場が、円安トレンドであるからこそ、円キャリートレードが功を奏していたのだという理解さえ出来ていれば、何ら問題はなかったと思うのです。
しかしながら、現実は、「半ば盲目的」に「外貨高円安トレンド」を、あたかも「決まった方向」だと思い込まれていたように考えられます。
ところが、長い歴史を見る限り、1971年のニクソンショック以降の為替相場は、長期円高トレンドにあるのです。
確かに、多くのクロス円相場が1995年から2000年にかけて大底を付けた格好に見えなくもないですが、あくまで相手は相場です。
自由に上げ下げするのが、資本主義社会の「変動相場制」であるわけです。
そして、何と言っても、「相場と友達になる」「トレンドを大切にする」と言う基本スタンスが相場で成功する為に最も大切なことだということです。
トレンドを把握した上で、相場に参入するスタンスさえ貫いておれば、変動するからと言って、何ら恐れることはないとも言えましょう。
■上記の通り、歴史的大相場が訪れていると判断されることから、この為替相場を長期的視野から俯瞰したわけですが、日常の実際のトレードは、いつもの通り、「相場に聞く」しかありません。
実は、私は、常日頃、時間分析を行っているのですが、先週(20-24日)というタイミングは、週足ベースでの「変化時間帯」であると読んでおりました。
「変化時間帯」というのは、相場がそれまでの動きを加速させる、もしくは、相場がそれまでの動きから変化し、転換するかのどちらかとなる可能性が高いのです。
株式相場、例えば、日経平均の動きを週足分析で行っても、やはり先週というタイミングは、「変化時間帯」に位置していたのです。
「変化時間帯」というのは大きく動くことが多いのですが、その値幅がどの程度になるかは、価格分析によるわけですが、正直、この価格分析はあくまで目安しか分かりません。
■ただ、一つ、誤解を招きやすいと反省した点があります。
それは、「変化時間帯」と聞いて、すぐに「相場が転換する」と早合点されてしまう方がいらっしゃることを充分に考慮すべきであったことです。
こちらがこうだと思って書いていても、それを相手の読者の方がどう受け止めるかを、常に頭に入れておく必要があることを改めて認識した次第です。
そうは言っても、過ぎ去った後になって「変化時間帯」でありましたと伝えるのは、やはり「後講釈を排除する」を信条とする私にとっては、何としても避けたいと思っています。
ですから、今後も、この時間分析を事後的にレポートさせて頂くよりは、その「変化時間帯」の最中に書かせて頂きたいと考えております。
この辺りをご理解頂けると、とっても嬉しいです。
■ところで、私が心から尊敬する「一目均衡表」の創始者である一目山人翁が、下げ相場に関して含蓄のある言葉を残しておられます。
以下、「一目均衡表、完結編」(P168~P169)からの抜粋です。
「人生のこと何でもそうでありますが、これを相場について申しますれば、引かれた玉を抱えていて、書くこと、見るもの、考えること、信じること、すべていけないのです。」
※ここで言う「引かれた玉」とは「評価損」を抱えたポジションのことです。
「相場は時に、化け物であります。」
「引かれ玉についてこの下げ相場で特に感じますことは、移動平均であります。(中略)移動平均をにらんでいる間に大きく引かれて、投げ遅れる、ということが特に多いように思います。引かれ玉を抱いて、何を考えてもいけませんが、特に移動平均は容易に変化しないだけ、下げ相場にはとてもいけないと思います。」とあります。
当時、テクニカル分析と言えば、移動平均線が主流であったのかもしれませんが、一目山人翁は、特に、下げ相場で大きく変動する相場への対処法を生み出したのでした。
それが、私がいつも重宝している「遅行スパン」なのです。
「遅行スパン」は、実態線を抜ける時、もしくは放れる時、偉大なる力を発揮します。
偉大な力とは、相場が大きく変動することを教えてくれることです。
大相場にこそ最強の武器となるのが「遅行スパン」です。
「遅行スパン」が実態線に絡む格好で推移している時は、相場が気迷いにあること、これからのトレンドを模索していること、上昇か下降かの分岐点に位置していることなどを示しています。
そして、遅行スパンが実態線から放れるタイミングが相場の開始のタイミングと判断して良いわけです。
もっとも、すんなりと、「遅行スパン」が実態線から放れていくとは限りません。
一旦放れたはずが、また戻ってくることもあります。
それは、それで、仕方ないものと諦めるしかありません。
相場に文句は言えません。
相場は常に正しいのです。
相場に歩調を合わせるしかありません。
途中で若干のコストを払っても、その遅行スパンの動きについていくこと、それが「相場と友達になる」秘訣です。
先週末金曜日のクロス円相場は、朝の時点で、60分足スパンモデルにて、遅行スパンが実態線に絡んでいました。
その時点では、相場がどちらに動くか、未だ決定の途上にあったわけです。
60分足スーパーボリンジャーのセンターライン、さらにはプラス1シグマラインを上抜けてきた時点で、上昇の可能性が高まったと判断することに間違いはなかったのです。
問題は、その後の動きでした。
相場が急変したのです。
まさに、一目山人翁が言う「相場は時に、化け物であります」を絵に描いたようでした。
遅行スパンが実態線を下に放れた時、勝負がついたと言えましょう。
60分足スパンモデルが売りシグナルを継続していただけあって、その後の下げはまさに暴落となりました。
下げ相場は特に早く動きますから、売りポジションを持てば大きな収益チャンスとなったわけです。
相場は、終わった後からだと、誰でも何とでも説明出来ます。
しかし、その瞬間の判断に真に役立つトレード手法を身につけていることが、本当に大切であると、改めて認識させられた相場だったと思うのです。
これだけの歴史的な大相場を経験出来た方は、「幸せ」だと思います。
大きな失敗をされた方も多いかもしれません。
しかし、この失敗が大きな成功につながります。
相場に限らず、過去に大成功をした人は、大失敗、大挫折を経験しているケースが非常に多いのは、歴史が教えてくれています。
既に起こってしまった事象、出来事をどう捉えるかは各人次第です。
もう辞めると思うか、それとも、これを機にしっかりとしたトレードスタイルを身につけようと努力するか、等々によって様々な将来に繋がっていくのだと思います。
成功の女神は最初は微笑んでくれず、試練を与えるようです。
しかし、努力する人にはいずれ微笑んでくれるものと信じています。
以上です。