以下は、本日発行しました無料メルマガ本文です。
どうぞ、ご一読下さい。
■先週も世界的に株価が暴落する中、為替市場は大荒れの展開となりました。
引き続きクロス円相場は急落の一途を辿り、ユーロ円相場は2005年6月の水準、豪ドル円相場は2002年8月の水準、ポンド円相場に至っては2001年6月の水準にまで下げました。
2000年以降順調に上昇してきた相場は総崩れとなり、上げ幅の大半を戻す格好となったわけです。
私の耳にも多数の個人投資家の悲鳴が聞こえてきました。
今回改めて為替相場の怖さを知った方も多かったと思われますが、元々、為替相場とはこのようなものだというのが、長年相場をやってきた私の実感です。
相場は相場の都合、勝手で動いているのです。
相場に対して先入観をもって決めつけている投資家サイドがおかしいのだと思います。
上がったものは下がる、下がったものは上がる、ただそれだけなのです。
上昇相場では、ロングポジションを持ち、下落相場では、ショートポジションを持つことが相場から恩恵を受けるために必須なことです。
当たり前のことだと思われますが、現実には、思っていることとやっていることが「ちぐはぐ」な投資家が多いのが実情です。
相場のリズムを知ること、今現在の相場が上げ優勢なのか、それとも下げ優勢なのかを認識すること、それなくしては相場に参入してはいけないのです。
今回のメルマガでは、いつもの個別の相場分析よりも、少しばかり為替相場の歴史を振り返りつつ、為替相場に臨む上での基本的考え方をお伝えしたいと思います。
■ところで、週末10日に、ワシントンで開かれた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)では、金融危機の収束を目指した行動計画を発表して閉幕しましたが、行動計画は、金融危機への対応策のみを対象とする異例のものとなったようです。
行動計画は「現状は緊急かつ例外的な行動を必要としている」と世界的な株価暴落に強い危機感を表明し、金融システムで重要な金融機関の支援と破綻回避のため「断固たる行動を取り、あらゆる手段を活用する」と表明しました。
その上で「金融機関の信認回復のため、公的資金・民間資金の双方で資本を増強できるよう確保する」と述べ、各国が公的資金を活用して金融機関に資本注入する制度を整えることを確認しました。
とにかく、今回の世界的危機の発信源である米国が公的資金の導入を確認したことは事実です。
もっとも、今後の先行きについて、メディア等々における「識者」「市場関係者」の意見は、概ね悲観的なものが大半のようです。
確かに「100年に一度の金融危機だ。」(グリーンスパン前FRB議長)と言われるほど、深刻であるのは事実です。
今回の世界的な株価暴落で、全世界で何兆ドルとも言える、果てしない金額の資産が吹き飛んだと言われています。
日本でも国民1人当たり200万円相当の資産が消えたとも言われ、世間の風は一気に寒くなった気配です。
■しかし、外国為替相場を対象に取引している私達にとっては、相場変動そのものが収益のチャンスだということを改めてご理解頂きたいと思います。
ですから、本来、資産が目減りするという発想自体、的確とは言い難いのです。
日本人であるから持っている日本円を外貨に換えて外貨預金をしている場合、その外貨の価値が下がれば、キャピタルロスとなって、資産の目減りとなります。
しかしながら、外貨証拠金取引(FX)を行っている場合は、あくまで保証金を元手に、レバレッジを効かせることで、保証金の何倍もの金額の取引を行うわけで、外貨預金とは異なります。
この外貨証拠金取引(FX)は、2つの通貨の交換レートの上昇か下降かを予測することが背景にあり、成り立つものです。
近年は、円の金利が低いことから、円を売って高金利の外貨を買うという取引が人気を博し、まるで外貨証拠金取引(FX)とは外貨を買うことが「通常の取引」であるかのような錯覚をする個人投資家が増えたようです。
レバレッジ1倍、すなわち、外貨預金を行うのと実質的に同じ経済効果を持つ取引をおこなっているのならまだしも、何倍ものレバレッジを効かせて取引を行うことで、大きな「為替変動リスク」に晒されていることを認識していない個人投資家が急増したのは事実です。
■確かに、2000年以降、日本円に対する多くの外貨の交換レートが上昇するという相場展開となったことから、外貨証拠金取引(FX)と言えば、外貨を買うこととイコールであると思い込まれる傾向が見られるようです。
2つの国の通貨の交換レートを対象とする取引に対して、勝手に都合よく解釈しているのは個人投資家サイドの理屈であると思います。
私が外国為替の世界に足を踏み入れたのは、邦銀に勤務していた1984年8月でした。
ドル円相場が、1ドル=240円程度で推移していた頃です。
1984年の12月に、ニューヨーク支店のディーリングルームに為替トレーダーとして赴任したのですが、生活資金の足しにと、日本から送金した30万円をドルに交換した時のレートは1ドル=250円近辺であったと記憶しています。
それでも、何日か待って、1円でも良いレートで交換しようと、やっきになって相場を観察したものです。
■さて、その為替相場ですが、赴任した翌年である1985年2月に付けた高値263.80円をピークにドル円相場は、じりじりと値を下げ(ドル安円高)、同年の9月の「プラザ合意」(ニューヨークのプラザホテルにて、当時の先進5カ国が協議し、中央銀行による協調介入を通じて米ドル切り下げを目指すと合意したもの)を契機に、ドル相場は一気に下落の一途を辿りました。
85年11月に、一時的に1ドル=199.90円をつけた時は、多くの市場関係者がついにドル円相場は200円を割り込んだと騒いだものです。
そして、しばらく200円を割り込み切れずに揉み合った後、翌年86年に入り、一気に200円の大台をブレイクし、5月には160円を一時ブレイクするに至るという円急騰劇が見られたのです。
その後何か月かは160円前後で揉み合いましたが、翌87年になると、140円割れ、さらに年末にかけて120円台にまで、まさにドルは暴落したのです。
その後、88年は120円がサポートとなって、ドルはじりじりと上昇に転じ、1990年4月の160.35円を付けるまでドル堅調相場となりました。
背景として、円金利低下を背景とした「過剰流動性」が円安バブルを招き、不動産価格急騰、株価暴騰という典型的なバブルが生まれたことがありました。
しかし、この90年4月のドル戻り高値160.35円を付けたドル円相場は、95年4月の79.75円を付けるまで5年掛けて、丁度半値の水準にまで下げるに至ったわけです。
■上記の通り、まさに激動の円高相場が続いたわけです。
このドル安円高の時代にあっても、円金利は今ほどでなくても他の外貨の金利に比べるとやはり低金利だったのです。
ちなみに、当時高金利の代表と言われた英ポンドは決して強い通貨ではありませんでした。
そもそも、弱い通貨ほど金利が高い、強い通貨ほど金利が低いというのが、経済ロジックの常識であったわけです。
そもそも、一国の通貨の金利が高いということは、その国の通貨が弱いがゆえに金利を高くしているということであり、昔から自国通貨防衛の為に、金利を高く設定するということは、歴史が示す通り常識でもあったのです。
通貨の長い歴史の中で、2000年以降のように、高い金利の通貨が継続的に強くなる相場展開というのは長い通貨の歴史の中ではむしろ例外的でもあったとも言えましょう。
実は、私がニューヨーク支店にいた頃、豪ドルを大量にロングポジションにして、金利収入を得ようという戦略を選択した時期がありました。
しかし、正直申し上げて、毎日収益計算をする際、胃が痛くなったのを覚えています。理由は、豪ドルが継続的に下落していたからです。
確かに、金利では大きな収入を得ましたが、それを上回る、評価ベースのキャピタルロスが毎日積み上がっていったのです。
債券での収益が順調であり、ディーリングルーム全体としては、豪ドルロングのポジションによる損失を補って余りある状況でしたが、為替セクションにいる私にとっては、相場の怖さを大いに勉強させられた時期でもありました。
■ここで、円相場(ドル円相場に絞ります)の歴史を少し振り返ってみましょう。
今から138年前の1870年に1ドル=1円と設定されたドル円相場は、1932年に1ドル=5円になります。まさに円は下落の一途を辿り、62年で5分の1となったのです。
おおむね、円下落の62年間であったわけです。
しかし、第2次世界大戦終了から4年後の1949年に1ドル=360円と設定されたドル円相場は、戦前とは一転して、円高の一途を辿ります。
大幅は貿易黒字を背景に、円の上昇圧力が続き、先に解説した通り、1995年に1ドル=80円割れまでドル安円高が進んだのです。
その後、1998年に1ドル=147.64円という戻り高値を示現したドル円相場は、大きな値幅で乱高下を繰り返しながらも、方向性としては円高傾向となっているのが分かります。
一方で、2000年以降は、ドル以外の欧州通貨やオセアニア通貨に対しては、円じり安傾向が続いたのです。
まさに右肩上がりの相場展開(外貨高円安傾向)となったのです。
それが、昨年2007年のサブプライム問題を契機に世界的信用収縮が続く中、円高傾向に転じたわけです。
ポンド円、豪ドル円相場に至っては、実に2001年の水準にまで下げているのが分かります。
特に注目すべきは、上昇に要した時間とは比較にならないくらい短い期間にて円高に推移したことです。
2000年9月から10月にかけて付けた安値から、2007年7月の高値にかけて上昇した時間は、約7年でした。
それに対して、ほんの1年ちょっとの時間でもって、これまでの上昇幅の大半を既に戻してしまったわけです。
2007年以降の世界的信用収縮がリスク許容度を減退させ、それまで比較的人気があった円キャリートレードの手仕舞いが現在の円高に繋がっているという解説はあまりにも一面的かもしれません。
より直接的な解釈として、ドルの資金調達に困難をきたした金融機関や投資家が自国通貨を売って米ドルを買うことで資金調達を図らざるを得なくなったというのが、現実を示していると言えましょう。
ユーロ円、ポンド円、豪ドル円相場等々クロス円相場の下落というのは、要するに欧州通貨やオセアニア通貨に対する米ドル高がもたらしたものです。
米ドルが買い戻されたもう一つの背景としては、米ドルの本国への資金回帰が挙げられます。
米国企業のあらゆるレベルでの損失補てんが、海外に投資していた資金の回帰を誘ったとも言えましょう。
いずれにしましても、ここ最近の相場は、とてつもなく巨額の世界的資金移動がもたらした大相場とも考えられます。
しかも、極めて短期間に生じる動きとなっており、従来の動き、特に2000年以降の相場しか知らない大半の個人投資家にとっては、理解に困難な展開となっていると思われます。
今まで、皆様がご経験されてきた相場の中でも、極めて稀な大相場となっているのは誰が見ても明らかなようです。
■さて、話がちょっと長くなってしまいましたが、このような大相場の中にあって、何を指針に、何に頼って相場に参入していけば良いのでしょうか?
相場は常に変動しています。
しかも、その方向性は、そう簡単に分かるものではないかのようです。
このような荒海の航海を行うにあたり、私達には「羅針盤」が必要です。
相場が上がろうが下がろうが、その流れについていくことが先決です。
相場の流れは「トレンド」と言い換えることが出来ます。
相場に参加するに当たって、相場の流れに乗ることが重要です。
すなわち、「トレンド」を把握することが大切です。
それは、とりもなおさず、相場と友達になることです。
相場と戦ってはいけないのです。
しかし、ほとんどの投資家が、意識するしないに拘わらず相場と戦っています。
相場の買いが勝っている時は買えば良いわけです。
相場の売りが勝っている時は売れば良いわけです。
外貨証拠金取引(FX)というのは、本来は、相場の方向性を探り、それにいち早く乗ることで、収益を上げるものです。
キャピタルゲインを狙うことが第一の収益目標です。
保証金の何倍もの金額のポジションを持つことが可能であるだけに、正しいトレード方法に従ってさえいれば比較的短期間に収益を上げることも可能です。
逆に言うと、トレード方法を誤ると短期間に大きな損失を出してしまいます。
皆様には、この正しいトレード方法を身につけることを強くお勧めします。
ゴルフでもテニスでも同じであると思います。
最初に、下手な癖を身につけてしまうと、いつまでたっても上手くなりません。
最初が肝心です。
特にレバレッジを効かせた取引をされるわけですから、尚のこと、慎重に学ばねばなりません。
もちろん、ある程度経験を踏まれた後でも、遅くはありません。
今までの経験を生かすことが出来るからです。
■ところで、「スパンモデル」「スーパーボリンジャー」「アクティベート時間・価格分析」は私の相場分析、トレード手法の柱となる「技術」です。
「シンプル・イズ・ベスト」をモットーに、極力、簡単明瞭にトレードする際の判断を与えてくれるものです。
相場の流れ、方向性をいち早く教えてくれる「手段」です。
これらの分析手法には、「相場の世界の真理」がちりばめられています。
もちろん、その背景、内容を詳しく知る必要はありません。
あくまで、トレードする上での「道具」として考えて頂いても結構かと思います。
皆様の毎日の実際のトレードに役立つものだと確信しております。
今回のメルマガは、一見、広告・宣伝のような内容となったきらいはありますが、相場が歴史的な様相を示しているだけに、皆様に為替相場の何たるかをお伝えしたく考えた次第です。
以上です。
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★★ところで、スパンモデルを紹介していただくのは大歓迎ですが、
スパンモデル・スーパーボリンジャー・アクティベート時間分析は
商標ですので、引用される場合には、どこかに以下のような記載を
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「スパンモデルはマーフィー氏の商標です」
「スパンモデル・スーパーボリンジャー・アクティベート時間分析は
マーフィー氏の商標です。」
宜しくお願い致します。